犠牲祭の関係でウジダ行きのバスチケットが買えず、2日間は任地に戻ることができなくなったので、エルフードから西に約100kmの場所にあるトドラ峡谷に行くことにした。ティネリールという町でグランタクシーを降り、とりあえず宿を探すことにした。
すぐに一人のモロッコ人が声をかけてくる。「日本人デスカ?」「・・・誰だあなたは。」最初はこのあまりに上手な日本語を話すモロッコ人を警戒していたが、話を聞くと彼は日本に6年半住んでいて日本語はぺらぺら、今はわけあってこっちでガイドをしているらしい。名前はムハ、地元民だ。彼の知り合いがやっているという安宿に泊まることにして、2日間のガイドをお願いした。1泊50DHで部屋には決してきれいとはいえないベットと、水がすでに漏れている洗面場があるだけ。
とりあえず荷物を置いてティネリールの町を散策したが、今は犠牲祭である。レストランも全て閉まっていたため、ハヌートで軽く昼食をとった。その後ムハの後に続いて歩いているうちに、オリーブの森に入った。立派なオリーブの木が所狭しと並んでいる。その実が黒く色づき終わる頃、地元の人々は最後の収穫に精を出すそうだ。その森を抜けると、目の前に緑の畑が広がっていた。手をかけられ大事に育てられた作物を、おじいちゃんとおばあちゃんがもくもくと収穫している。その横のあぜ道を通り、グラウイのカスバ(日干しレンガで作られた建物)が見える場所で座って休んだ。
久しぶりに気持ちのいい道を歩いた気がする。短い雑草がたくさん生え、水路の側は少し土がやわらかい。辺りは草や土のにおいがする。日本の田畑を歩いていたような懐かしい気持ちになった。地面に座るときにはナツメヤシの葉をちぎり、それを2つに折って下に敷いた。この辺りはその昔、スペインから迫害されたユダヤ人がここまで逃げて来て生活していたそうだ。イチジクやナツメヤシの実(ツマル)から作られるお酒の技術も、ユダヤ人によってこの地に伝えられたのだとムハは教えてくれた。
メディナの中から畑の中まで、自分の庭のようなこの町を丁寧に説明してくれた。