「シノウィ!」
すれ違い様に小さな子、といっても善悪の判断はつくであろう12,3歳の男の子が声をかけてきた。いつもなら適当にやり過ごすのだがこのときはなぜか、腹が立った。「これはちょっと話さなければ。」と思い、振り返って近づこうとすると逃げていく。おそらくこっちの気持ちが表情に表れていたのだろう「ちょっとこっちにおいで~」と手招きするとさらに逃げていく。余計腹が立った。「これはいかん」と思い、相手にするのも面倒になったのでもうやめにした。
その後、我に返りなぜ腹がたったのかと考えながら歩いた。一番の原因は、その子の声と態度が許せなかったからだ。明らかに人を見下し、からかうような態度と声。国が違っても言葉がわからなくても、相手の表情や態度を見れば、その言葉や行為にどんな思いが込められているか大体わかる。モロッコに来て何度この言葉をかけられただろうか。しかし、人によって少しずつ声のトーンが違っているので、全てに腹が立っているわけではない。むしろ楽しんでいることの方が多いかもしれない。ちょっとめずらしそうに声をかけてくる人、出会えてテンションが上がっている人、そして一部、見下したように声をかける人(モロッコ人がそう思っていなくてもこちらはそう捉えてしまう)人それぞれだ。これらの感じ方には主観が入っているので、受けとる人によって違うと思う。
そもそもなぜ人々は「シノウィ」と口にするのか。その真意が知りたい。おそらく出会ったことも話したことも少ないであろう「中国」に対する思いはどこからきたのか。ブルースリーやジャッキーチェン、ジェットリーは大好きなのに、なぜあのような(時に人に不快感を与えるような)声かけをするのか。首都のラバトでは何回かこんなやりとりがあった。
「お~ジャッキーチェン!」「いや、おれは日本人だ。ジャッキーチェンは中国人。」「お~、ジャポネか!ブルースリー!」「いや、ブルースリーも中国だ。」「・・・わっはっはっは。」といつもこんな具合・・・なんなんだ。
せっかくモロッコが好きになっても、あの声をかけられると何ともいえないさみしい気持ちになる。子どもがすれ違い様に言ってくることも何度かあった。彼らは何かをきっかけにして中国に対する偏ったイメージができているのかもしれない。でも、もしかしたら何も考えてないのかもしれない。そう考えると、ますます彼らの「シノウィ」に対する見方や考え方が知りたい。この問題はモロッコにいる間のテーマのひとつだ。この体験は自分にとって貴重な体験であり、モロッコの人にも考えてほしいことだ。小さい子が言ったこと、で済ませていいのか。いや、だからこそ考えなければと思ってしまう。(せっかく素敵なモロッコのよさを感じても、あの言葉で嫌な思いをさせたらもったいないぞ、モロッコ。という気持ちで)いつかモロッコの子どもにもこの体験を話せるようになりたい。そのときに感じた自分の気持ちが伝えられるようになるまで、もうちょっと様子を見てみようと思う。
でもこれまで出会い、仲良くなった子は本当に気持ちいい笑顔で僕たちに話しかけてくる。